topimage

2015-08

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一脚の椅子 〜自閉っ子の成長キロク〜 - 2015.08.21 Fri

201508_hayachair.jpg

Hayatoに、一脚の椅子を買ってあげました。

Yuiが生まれて、突然お兄ちゃんになって、環境が一変して、
ものすごく荒れた時期があったけど、落ついて
でも最近また、心を閉ざしたような表情をするようになったり
落ち着かない行動に出たり
私は、なんかHayatoと上手くやっていく自信をなくしかけていました。

それが、この一脚の椅子を買ってあげたその日から、変わった。

Hayatoの表情が柔らかくなった。前みたいな無邪気な笑顔になった。
私がYuiにかかりっきりで、余裕がなくて、ちょっと疲れた顔をしているとき
様子を伺うような、萎縮したような硬い表情をしていたのに
今は、ちょっと余裕を浮かべて、ニッコリとマイペースで過ごしてる。

夫が仕事に出かけるときは、かーなーり寂しい顔になるけれど
夫が仕事に行ってる間、夏休みで家で過ごしている間でも、のんびりを雑誌をめくって待っていられる。

一脚の椅子をHayatoに買ってあげてから、気づいたこと。

Yuiが生まれてからは、Yuiのオモチャ、バウンサー、ベビーカー、
離乳食が始まる頃にはダイニングにYui専用の赤い椅子、
動きだそうというこの頃は、歩行器が導入され、お洋服もYuiのものばかり増えて
写真を撮るときも、Yuiにばかりカメラが向けられる。

Hayatoがバウンサーに座ろうとしたら……「壊れちゃうでしょ!だめよ!」
Hayatoが赤い椅子に座ろうとしたら……「Hayatoは大きくて入らないでしょ、だめよ」
Hayatoはベビーカーに乗ってみたいけど……「お兄ちゃん、ベビーカーを押してくれる?」

Hayatoは自閉っ子、自分の意思を言葉で表すことがとても苦手。
欲しいものがあっても、なかなか欲しいとは言えない。
この頃は、食べたいものを「食べたい」と言えるようになってきて
食べたいものは食べれる、叶えられる確率が高いことを知ってるので
ジョイフルやコメダ珈琲店に行ってコーヒーゼリーを食べることが増えた。

でも、形のあるモノを随分長い間、買ってもらっていない。

Hayatoに椅子を買ってあげたのは、どっちかと言えば親の都合でした。
家族で寛ぐ場所であるソファが、Hayatoに占領されていることが多い。
なんか、私たち、ソファーにいつも座れないよねぇ?
Hayatoが寛げる、専用の椅子を買ってあげようよ!そして私たちがソファに座ろう!

Hayatoは椅子を買ってもらった。
IKEAで前から目をつけていたアームチェア。
ゆらゆらと前後に軽く揺れることもできて、自閉っ子の好きな動き、ゆらゆら動きができる。
Hayatoは久しぶりに、形のあるもの、いつでも「僕のもの」と確認できるものを手にいれた。

ゴメンね、Hayato.
全然気づいてなかったよ。
Yuiにばかり買ってあげてばかりで、ゴメンね。

Hayatoは、一脚の椅子を買ってもらったことで
私たちに愛されているということ、確認できて、安心したのかな?
今日も、Yuiちゃんがおすわりしてるところにやってきて、ヨシヨシしてくれた。
Yuiが泣いてるとき、耳をふさいで迷惑そうにしていたのに
こないだ、ヨシヨシしてくれてた。

また何か、Hayatoのものを買いに行こうね。
すぐには買ってあげれないけどね、まだ何か、買おうね。


★光永典人写真事務所/NM Photography HP >> http://choconeko.com
★光永典人ブログ >> http://norihitomitsunaga.blogspot.jp

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 北九州情報へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

父の旅立ち、その記録 - 2015.08.16 Sun

dadchie1997.jpg

*写真は1997年1月、父 61歳、私 24歳

お父さんが7月30日の午後5時12分にこの世から旅立った。
その時わたしは、九州自動車道の福津か宮若あたりを北に向かって走ってた。
そのほんの30分くらい前まで、お父さんの隣にいた私。
子ども2人が落ち着かなくて、そろそろ限界だから…と病室を後にしたんだった。

家族4人が同じ部屋にそろったのなんて何年ぶりだったんだろう?
ただでさえお父さんは、10年も病院のベッドの上。
私も弟も遠くに住んでいた時期があったり
色々なことがぐちゃぐちゃにこじれて
そんなに遠くない場所に住むようになってからも
家族が揃う機会なんて、無くなってた。
そう、15年以上は経ってたんだと思う。
冒頭の写真、1997年に最後に家族そろって初詣に行った時が多分最後。
そして本当の最後になったのは、お父さんの命日。2015年7月30日。

母と弟は、お父さんが息を引き取る瞬間を目の前で見ていたんだって。
本当によかった。お父さん、最後は一人じゃなかった。

父の葬儀?お通夜?どっちだったか、その打ち合わせをしているときに
司会をしてくださる方から、お父さんはどんな人だったか?を訊かれて
母と弟と3人で顔を見合わせて「悪いところしか浮かばんよね 笑」なんて言いながら。
悪口大会みたいなことになっていた最中、弟が切り出したのが。
「やりたいことは何でもやってみろって、自由にやらせてくれる人だった」
そう、何にしても、「やるな」とは言わない。
これをしたいんだ、と相談すると、理由は何だ?と訊かれる。
理由を一通り述べると、「分かった。やれ」と。

父は1935年、当時日本の占領下にあった韓国のソウルに生まれた。
10歳のときにお父さんを亡くし、終戦直後にお母さんと5人の兄姉妹と一緒に
日本に引き揚げてきた。
父は「本当なら慶応大学に行くところだったけど、お金がなかったから……」と
悔しそうによく話してくれたものだけど、通夜のときに伯母たちから聞いた話によると
勉強がよく出来たのは本当だったらしく、しかもテストの平均点が100点だとか
まあ少しは脚色されてるんだろうけど、慶応大学に行けるほどだったのは
まんざら嘘でもなかったのかもしれない。

大学に行くことも叶わず、希望の就職先にも入れなかった。
(父は、当時は片親であることに対する差別があった、と言ってた)
やりたいことがあったのに、できなかった、そんな悔しい思いを子供達にはさせたくないと
いつも言ってた。だから、やりたいことがあるなら、何でもさせてやりたいと。

波乱万丈とか破天荒を絵に描いたような人で
母は本当に苦労したし、とても平和な明るい家庭でした……とは言い難いのだけど。
お父さん、いい人だったよ。
1997年、家族4人そろって初詣に行ったその直後、
私はカナダのバンクーバーへ
弟は中国の大連へ
子供2人を同時に海外留学にやるって、並大抵のことじゃなかったと思う。
我が家は、会社の倒産やら何やらを経て、裕福とはほど遠い家庭だったから……。

私も弟も、自分は好きにやる、留学するんだって、当たり前のようにやってたんだけど
それをドンとやらせてくれるお父さん、心が大きな人だったんだなぁ。
後ろで支えていたお母さんの苦労も、計り知れないほど、とても大きかったと思う。

弟は、それから紆余曲折ありながら、かなり苦労しながら、立派に道を拓いた。
私は、紆余曲折・波乱万丈いろいろありながら、失敗ばかりで、まだデコボコ道の途中。
「あんたは立派になったけど、私なんてちっとも親孝行できてない」とつぶやいた私に
弟が言ってくれたこと。
「ねえちゃんは、もう今で十分すぎるほど親孝行してるから、何も心配することはない」

ありがとう。ありがとう。
出来のいい弟を妬んでばかりの姉だったのに、ありがとう。

お父さんは、なんだかちょっとこじれてしまっていた姉弟関係までほぐしてくれた。
家族の絆をもう一度、しっかりと結んでくれた。
本当にありがとう。

心臓の大きな手術をしたり、その後、何度も繰り返し脳梗塞で倒れながら
最後の発作で半身が麻痺して動けなくなってしまったのが、10年前。
何度も脳梗塞で倒れては入院、退院、倒れて入院、退院、、、を繰り返してた間
お父さんは、ある事業を立ち上げようとしてた。
家族の中では……また何かやらかしよる、おとなしくしとってくれたらいいのに……
という空気だったし、私もあまり応援する気にはなれなかったんだけど
もっとちゃんと、話を聞いてあげればよかった、少しは応援してあげればよかったと
今になって思う。
事業を立ち上げて、お金を稼いで、家族の生活を楽にしてやりたい。
色々と裏腹で上手くいかないけどさ、そういう気持ちは本当だったんだと思う。

もっとこうすればよかった……そんな後悔はつきもの。
だから、親が生きてるうちに、ちゃんと素直になって、親孝行した方がいい…なんて、全く思わない。
親が死んだ時には、みんな、もっと親孝行すればよかったって、後悔するもんなんです。
生きてるうちは、気恥ずかしかったり、素直になれなくて、無下にしちゃうものなんです。
それで、いいんだと思う。
どんな形であれ、ぐちゃぐちゃだって、そこに絆はあるんだから。

↓は、お父さんが息を引き取ってすぐに紡いだ言葉。
http://hummingchie.blog.fc2.com/blog-entry-219.html

初七日を終えるまでのFBに投稿した言葉たちも、ここに残しておく。

- - - 2015年7月31日 Facebook投稿 - - -

『おくりびと』という映画。私は観ていない映画。
今日、父が棺に入っていよいよ死への旅に出る
その支度をしてくれる方々のお仕事を目の当たりにして、とても感銘を受けたんです。
一つ一つの所作がとても美しくて。父をとても綺麗に整えてくださった。
母と弟はしきりに「『おくりびと』を思い出すね」と言って感嘆してた。
私と夫は、仕事をするにあたってこんな美しさを大切にしたい、と言い合った。

明日の葬儀は泣くだろうなー。
通夜の段階で、遺影を見てるだけで涙とまんなかったもの。
本当に、死んでから初めて思うものなんだね。
私も例に違わず、「もっとお父さんと仲良くしとけばよかったー!」と後悔してる。

私と父は、ダメダメ人間組。
弟と母は、真っ当人間組。

そんな風にレッテル貼られて、母と引き離されるのが嫌で、父を遠ざけるようになった。
悲しかっただろうなー。
誰に何て言われても、素直にお父さんっ子を貫けば良かった。

今日、やっぱり私は弟&母のコンビとはナンカチョット人種が違う……と、改めて感じて、
そこにお父さんがいつも居たのに、私の一番の理解者だったのに!って、ホント今更。

もう、消えたいとか死にたいとか思わないで、自分を肯定して、生きて、
死ぬ時に後悔しないように自分を生きて夢を叶えなきゃいけない。
これからは、そんな生き方をしたい。
- - - - - - - - - -

- - - 2015年8月1日 Facebook投稿 - - -

父のお通夜、お葬式、火葬、初七日、とても良いものでした。
死者は49日かけて、罪科を清めたりお釈迦様と出会ったりしながら仏になるんだそうです。
その間、生ける私たちはロウソクで足元を照らしたり御線香やお花で道案内をしてあげる。

身内の葬儀などことごとく参列の機会を逸してたので、これが初めての経験だったのだけど、
こうして儀式を経ることは、死者との共同作業なのかな…と感じました。
お別れは悲しいけれど、父をとても身近に感じられる愛おしい時間でした。
色々あって親戚なんて大嫌いと思った時期もあったけど、
昨日から今日にかけて身内で父の思い出を語り合う時間はとても温かいものだった。

骨だけになった父を見たとき、人間もこうして土に還るものなんだなぁって
初めて実感しました。
生きることって刹那だけど、だったら好きに生きなきゃ。
好きに生きるからには本気で生きなきゃ。
叔父叔母から聞かされた父の秀才ぶり…
そのDNAを私は全然活かせていない、これから活かさなきゃいけない。
色んなことを考えた。

本当に、貴重な良い時間でした。お父さんありがとう。

- - - - - - - - - -


★光永典人写真事務所/NM Photography HP >> http://choconeko.com
★光永典人ブログ >> http://norihitomitsunaga.blogspot.jp

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 北九州情報へ
にほんブログ村

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

About chie.

chie

Author:chie
ちえです。唄うこと&お菓子を作ることが大好きです。NMphotography.+nicola cafeを夫と経営。私の詳しいプロフィールはコチラをご覧ください。
Hi, I'm chie. You can see my profile HERE. Thank you!

Category

About chie. (1)
ちえ日記 (162)
NMphotography. (21)
nicola cafe (20)
自閉っ子Hayatoの成長キロク (36)
子供たちのこと (17)
唄うたい活動 (7)
学び/coursera (8)
レシピ (3)

Latest post

Links

このブログをリンクに追加する

Monthly archives

Comments

Search

RSS links

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。