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2016-02

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親のココロ ~自由に羽ばたいてほしいから~ - 2016.02.29 Mon


子どもを育てていく上で、子どもの良いところはどんどん褒めてあげたいし
何があってもどんな時でも、私だけは(きっと夫も同じように)子ども味方でいよう!
子どものことを肯定してやろう!という思いが強く、あります。
子どもって、親に褒められて肯定されることで、愛されてることを実感できて、
十分に愛されて安心できる場所があってこそ、自由に飛び立って行けるのだと思うんです。

拠点となる安心できる場所がないと、どうなるか。
自由に飛ぶことは出来るけど、帰る場所がない。
不安や寂しさがいつも胸にあって、どこか心許なくて。
そうなると、飛び回る自由度が狭まってしまったり、いざという時に
自分に自信が持てなかったり、自分にOKを出してやれなくなってしまいます。

私の小学校高学年から高校2年くらいまでの期間は
自分なんてなんの価値も無くて、存在する意味もなくて
いつでも消えてオッケーなんだという
とても低い自己評価を抱えていた期間でした。
かつての将来の夢は「ピアニスト」で、
本当に目指したかったんだけど、
その夢は捨てざるを得なくなった。それは色々な大人の事情があってのことなんだけど
私は自分に才能がないからピアノを止めなきゃならないんだと思い込んでいました。
言った当事者は覚えてないと思うんだけど
母は私に「才能がない」と言ったのです。

また、小学5年で北九州市内の小倉から八幡に転校してきたとき。
担任との面談で、「どんなお子さんなんですか?」の質問に
母は開口一番「友達がなかなか出来ない子なんです」と。
それまで自分では友達づくりに難しさを感じたことなど皆無だったのに
そのときから急に「あ、私っていわゆる難しいタイプの子なんだ」と意識し始めました。

親の一言って、子どもにかなりの影響力を持っています。
もし母が、私の欠点を言う前にまず長所を見つけて口にしてくれていたなら……
私ももう少し自信を持って思春期を過ごせたのかも、と思うことがあります。
(まあ、今の私はイイ感じなので、結果オーライです)

昨日たまたま中学時代の同級生と話したりメッセージやり取りする機会があって思い出したこと。
中1の頃、私はちょっと悪いことをしたことがあります。
親が事情で夜に不在がちだったので、何となく心に隙間があったのかな?
当時の気持ちは覚えてないけど、夜に徘徊してました。
学校に通報されて、担任から呼び出されて言われたことは
「あなたみたいな優等生が、信じられない……」
その直後から、担任の私への態度や視線が一変しました。
そうして私は保健室の常連になりました。
(本当に頭痛や腹痛の時もあれば、嘘をついた時もあります)

中2の時の担任は、先の中1の担任の旦那さん。(それは関係ないと思いたい)
通知表には「発言が少なくどこにいるのか、存在感がない」と書かれたし、
その担任の教科のテストで発言が満点に近い点数しか取ったことがないのに
5段階評価の3ばかりが並ぶ。他の教科でも似たようなことがありました。
そうして私は「ああ、私って存在感薄いんだなぁ」と思うようになり、また、
テストの点数を取っても成績に反映してくれない先生たちのことが大嫌いで
学校の先生にだけは死んでもならないし、何事も学校の先生にだけは相談するものか、と誓いました。

話は戻って、昨日の中学時代の同級生とのやり取りでは
私のことを「存在感があった」とのコメント。
私は口数も少なくて引っ込み思案だったし、誰も私のことなんて覚えてないだろう…と思ってたのに、案外、話したことのない同級生から名前も顔も覚えてもらってることが多くて、不思議に思ってたんです。

そっかー、存在感あったのかぁ。
それを中学時代の当時にリアルタイムで聞くことができたなら
私はもっと自信を持って明るく過ごせたかもしれないなー、と。
(これも、今の私はイイ感じと思うので、結果オーライ 笑)

私が自信を持って自分らしく積極的に振る舞うことができるようになった大きな転機は、英会話学校やホームステイ先で知り合った外国人たちや日本人の友達から「あなたはユニーク!面白いね!」と言ってもらえたこと。
でも、思い返してみると、中学高校の暗黒時代の中にも、私のことを面白いと言ってくれる人達に出会えた時期も確かに存在してて、その時はなんか学校が楽しかった。

褒めてもらえること、存在を知ってもらえること、肯定してもらえることで
こんなにも自由な楽しい日々を手に入れることができるんです。

今現在、私には最強の拠点があります。
夫と息子と娘のいる家族!
みんな私を必要としてくれるし、夫は私を全面肯定してくれてる。

欠点や悪いことばかり口にする実家の母は……
まあ今は私も大人だし親の心も分かるので
拠点であることは、あるけれど、
心から寛げない、滞在していると心が少しずつ消耗してしまう場所です。

いつか、こんな記事を読みました。 
10代の頃にグレて、みんなに迷惑ばかりかけて、挙句には軽犯罪で捕まってしまったという人。その人のお母さんは、いつも「あんたは素晴らしい子なんだから!」と言い続けていたんだそうです。
「こんな自分のどこが素晴らしいんだ?!」と反発ばかりしてたそうですが、逮捕されて罪を償って社会に復帰することになった時、お母さんの言ってくれた言葉が支えになって、更生して夢を持ちそれを叶えることが出来たんだとか。
うろ覚えなので細かいところ間違ってるかもしれないけど、大体こんなかんじのストーリー。

いつか親元を離れて飛び立ってゆく子どもたち。
自分に自信を持って、自由に羽ばたいてほしいから、
私は子どもたちのことを褒めて、どんな時も肯定してやりたい。
心から、そう思っています。

そして、何かに悩んだり、進路のこととか、友達のこととか、何でも話してくれるような
そんな親でありたいなー。なれるかなぁ。
私が子どもの頃に、夢みる心の蕾を摘まれてしまったり、ちゃんと見てもらえなかったり
そのせいで大人を信用できなくなって
大事なことを何も大人に相談せずに大きくなってしまった。
しなくてもいい失敗をたくさんして、遠回りをして、道を間違えて戻れなくなったり。

レールを敷こうなんて気持ちはないけれど
困った時の道しるべとか、案内人とか、そんな役目を担いたい。
そうなれるように、子どものことをまず全て受け止めてやれる、広くて大きな親でありたいです。



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卒業生を送る会で、司会を務めました 〜自閉っ子Hayatoの成長キロク〜 - 2016.02.27 Sat

昨日のinstagram投稿より↓

「一生ことばが出ないかもしれません」 療育センターの先生からそう言われたことのある、重度自閉っ子のHayatoが、今日、6年生の卒業を祝う会で、司会を務めたんだそうです。 ことばが出ないかもと言われた2年後くらいに単語が出るようになり、ひらがなを覚えた直後からどんどん単語が増えて、小学校に上がる頃は、50語くらいだったかな?その頃から2語文が出だした。 今も、意思を伝えることがとても苦手なので、会話らしい会話はできません。どこかで覚えたセリフ以外は口にできない。でも、こんな原稿をちゃんとみんなの前で読むことができたなんてね。ちっちゃい「ゅ」とか「ょ」とか発音苦手なのに、ちゃんと練習して言えたらしい。 特別支援学校の先生たちには大感謝です。Hayato頑張ったー!

mitsunaga chieさん(@chie_mitsuna)が投稿した写真 -



※この記事の中には、障害者の方に対して失礼な表現や偏見のある表現が使われています。
私の当時の気持ちを思い出しながら書いたもので、不快に思われる方もいるかもしれませんが
ありのままに書くことで、障害を受け入れることの難しさなどをリアルに伝えたいと思い
敢えて掲載しています。どうぞご了承ください。


昨日はHayatoが通っている特別支援学校で「6年生の卒業を祝う会」が行なわれました。
準備に入る段階で在校生の間で係りを決めるのですが
「司会をがんばる人〜?」との先生の呼びかけに「はーい!」とHayatoが
元気よく手を挙げたんだそうです。係りの仕事は好きみたいで、よく何にでも立候補するみたい。

自閉症の子の中には、流暢に言葉をしゃべる子もいれば、単語をなんとか繋いで話せる子、
まったく言葉が出ない子など、様々な子がいます。
Hayatoは、単語を繋いでなんとか意思を伝えることができるタイプの子。
でも、4歳くらいの頃、月いちで通っていた療育センターの先生から
「Hayatoくんの場合、この先ずっと、言葉は出てこないかもしれません」
そう言われていました。

Hayatoが4歳の頃といえば、やっと私がHayatoの障害を「受け入れる準備ができた」頃。
それまでは、療育なんて必要なくて、普通の保育園・小学校・中学校に通い続けれいれば
自然と成人する頃には普通の子になっている、と信じていました。
これは信じているというよりは、そう信じることで自分をなんとか保っていたんだと思います。
「普通の子」と考える時点でもう、障害に対して偏見だらけだった私のことがわかると思います。

地元のひまわり学園という療育園に年長さんから通うようになり
(通わせる決心をするのもまた、紆余曲折、涙涙の大変だったんです 笑)
Hayatoに笑顔が見られるようになってから、だんだんと考え方が変わっていきました。
園長先生から「特別支援学校に入ったほうがいい」と言われたときは
「えーーーーー。ウチの子が養護学校なんて……」と、また偏見に満ちた私の頭の中。
気持ち的に受け入れられそうになかった私に、園長先生が「お母さんはお仕事してらっしゃるから
特別支援学校に入学させたほうが、放課後対策とか色々な福祉サービスが受けられて
とても便利ですよ」と。

「仕事を続ける上でとても便利だから」

そんな理由で特別支援学校への入学を決めた私なので、
この時点でもまだHayatoの障害のことを完全には受け入れられていません。

特別支援学校の入学式の日のことを、よく覚えています。
周囲にはかなり個性的な子どもたちがいっぱい。やっぱり学校間違えたかな……と不安でいっぱい。
最初の年には運動会があったのですが、大きなお兄さんお姉さんが司会を務めたり
はじめの言葉をマイクで述べたりしている様子を見ていました。
でも、人前で言葉を操って何かをするなんて、ウチのHayatoには縁遠いことだなぁ…なんて
他人事のように思っていました。
まさか、数年後にウチの息子がそんな役目を務めることができるようになっていようとは!

家では、療育らしい療育はほとんどできていません。
特別支援学校は、宿題などもまったく出ませんし、夏休みの宿題も希望者にだけ
プリントなどの課題が出される程度です。
それは、彼らにとって学校での集団生活自体がとても大変なことで、
毎日毎日頑張りすぎるほど頑張っているので、家では頑張らずにゆっくりと
疲れを癒してノンビリ甘えてほしい、との先生方の意向なんです。
(学校によって違うのかもしれませんが、ウチの学校ではそんな感じです)

なので、Hayatoがここまで言葉を操れるようになったこと、
もちろん自分で自由に文章を作ったり、思ってることを全部伝えることはできないけれど
こんな長い文章を、大勢の前でマイクを持ってしゃべることが出来るようになったのは
ひとえに学校の先生方の日々のご指導のおかげです。
そして、Hayato自身の頑張りも!

会話らしい会話は、できません。
映画やアニメなどで聞いたセリフを真似してみたり、私たちが言うことをおうむ返ししてみたり
フレーズをそのまま覚えて、シチュエーションに応じて口から言葉として再生してる感じです。
でも、そんなことが出来るようになったなんて、数年前には想像できなかったことです。
iPadやyoutubeは子どもに有害だなどと言われていますが
HayatoにとってはiPadやyoutubeが、大切な欠かせない「言葉の先生」です。

さて我が家には、今のところ定型発達児だろうと思われるYuiの存在があります。
2歳にもなれば、あらゆる面でHayatoの能力を追い抜いてしまうだろうと思います。
その時にHayatoがどんな風に感じるのか。
Yuiが物心ついたときに、兄よりも自分の方が色々なことが出来ると
気づいてしまったときに、どうなるのか。
考えればいろいろと将来の課題もありますが、きっと、学校の先生方や福祉サービス事業所の
スタッフのみなさんと連携して、その時々で解決していけるんだと思います。
何よりも、私たち仲良し家族で一緒なら、大丈夫!
あとは、私があんまりガミガミを怒らないように、気をつけるだけです(笑)。


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こんな2月の日曜日 - 2016.02.21 Sun

160221_yui.jpg

なんと1ヶ月以上もブログを更新していませんでした!
そう、1ヶ月更新がないと、広告がバーンと表示されちゃうのです。
自分のブログを見てびっくり。で、慌てて更新しています 笑。

今日は気温こそ低かったけれど、とても良いお天気!
子供たちを連れてお出かけしました。
土日は夫が仕事なので、学校が休みのHayatoをどう発散させるかが課題なのですが
この頃はYuiが歩けるようになってきて、少しは外遊びもしやすくなりました。
(といっても、まだまだ外を歩くのは難しいようなので、抱っこが多いけど)
車の調子が悪かったので、まずは車屋さんへGO!

日曜日なので、家族連れのお客さんでごった返した車屋さん。
到着早々「やっぱり平日に来るべきだったか……」と後悔したけれど
とりあえず受付を。。。
1時間待ちということで、思ったより待たなくて良さそう。
Hayatoは飲み放題の自販機でアイスココアを何倍もお代わりしつつ、雑誌をめくり、
Yuiはキッズスペースでおままごとをしたり、外にでてウッドデッキをトコトコ歩いたり。
子供たちにはちょうどいい気分転換になったみたい(*^^*)

160221_haya.jpg

このところバタバタと慌ただしい光永ファミリー。
とても良い出来事がバンバンと起こり続けているので、良い意味でのバタバタなのですが
ちょっと子供たちとの時間をオザナリにしていたかも?
いや、ちょっと倹約してたんだっけ?
とにかく、私と子供たちとの3人で外食するのは、とても久しぶり!
みんな大好きなうどん屋さんへ行きました。

タイミング的に正午ジャストだったので、駐車場も満車、座席も満席に近かったけれど
待ち時間もなんだかワクワク。お天気がよくて気分がよくて、とにかく楽しい気分。
Yuiは8ヶ月〜10ヶ月くらいの頃は、じっとしてないし立ち上がるし
テーブルの物は片っ端から掴んでは投げるわで、外食するのが地獄のように大変でしたが
この頃はお利口さんになってきて、私も余裕が出てきました。
余裕が出たと言っても、Yuiは立ってあちこち歩いてはイタズラしそうになり
それを連れ戻しに行ったり、片手で食事をするけれどもう片方の手は膝に座っているYuiが
勝手にお皿の中に手を突っ込まないように制止したり、コケないように支えたり、
食べ物を取り分けて食べやすい大きさに切ってやったり、ベタベタの手を拭いてやったり
ものすっごーーく忙しくはあるのですが、もう慣れたのもあるし、
やっぱり8〜10ヶ月の頃が本当に地獄のように大変だったから……
今となっては、この程度の大変さなんてチョチョイノチョイ!ですw

おうどんを食べてお腹いっぱいになったら、公園へ!
車の中ではYuiが気持ちよくお昼寝に突入したので、1時間くらいウロウロとドライブしながら
遠回りして公園へ向かいます。途中、Hayatoの好きなセブンイレブンに寄って
食後のおやつを楽しむこともお忘れなく。。。Hayatoの至福の時だからね(*^^*)

八幡東区の桃園公園は、いいお天気のおかげで子供たちや家族連れがいーーっぱい!
こんなに混み合った公園で、物怖じせずに遊べるようになったHayatoを見ていると
感慨深いものがあります。
ずーーっと、健常児さんたちがたくさんいる場所では引け目を感じて
中に入っていくことができなくて、隅っこでうらめしそうに眺めてるだけだったものね。
仕方ないから、人気のなくなった日暮れ後に公園で遊んだりしたなぁ。
靴を履く、ということが楽しくなってきたYuiも、公園で楽しく歩き回ってくれるかなー?
と思ったら、意外にダメで、ずーっと私に抱っこされたまま、ほとんど動きませんでした。
人が多くてダメなのかな?と思ったけど、後から考えたら
きっと寒くて遊ぶどころじゃなかったのかも。冬生まれなのに寒さに弱いYuiさんです。

夫のいない日曜日、子供を2人連れて遊びに出かけるのにも、ずいぶん慣れました。
でも、よその家族連れを見ると、ちょっと寂しいですね。
もう少し時間がたてば、もう少し、家族4人で過ごせる時間が多く取れるようになる。
そのために、私たち光永ファミリーは、今楽しくバタバタと色々やっているところです(*^^*)
私も頭が徐々にお仕事モードに。
暖かくなって、桜が咲く頃には、こちらに色々報告できるようになるといいな。


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ちえです。唄うこと&お菓子を作ることが大好きです。NMphotography.+nicola cafeを夫と経営。私の詳しいプロフィールはコチラをご覧ください。
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