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2018-02

私の症状まとめ - 2018.02.23 Fri

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【うつ病のはじまり】

2017年の6月はじめ、朝Yuiを保育園に連れてった帰りに買い物しようと野菜の直売所に車を停めてから……外にいる他の買い物客たちの足音や話し声が怖くて、シートの足元にしゃがみ込んで耳を塞いで、怖くて怖くて泣き続けた。
1時間くらいそうして、やっと意を決して車を走らせ家に向かう途中も、すれ違う車の運転席の人の気配に恐怖して、嗚咽しながら運転して、帰宅すると夫に「怖い!」と言って泣きながら耳を塞いで座り込んだ。

そんな始まりでした。

突然そうなったのかというと、そうでもなくて、4月くらいから何となく仕事で接客するのに気力が要るようになってきて、5月には来客予定がある日は気合いを入れないといけなくなり、急な来客のときは逃げたくなる気持ちを抑えながら必死の来客。イライラしたり、仕事のポカミスや効率悪さもかなり目立ってきてて、夫からも指摘があったし自分でもオカシイと思って、メンタルクリニックに予約の電話を入れたのが5月末だったかな。

【うつ状態のときの私】

6月から7月半ばまでは、3日くらいひたすら食事もせず寝続けては復活、またゾンビのように寝続けて、という感じで、ゾンビ状態の間は頭に霧がかかったような感じで、家族から話しかけられても異次元からの声のように認識しづらくて、意識はあっても頭が働かなくて、声も出せない。
調子のいい日は動けるのだけど、食欲はなくて、頭の中では明日この世界が終わればいいのに……とか、ミサイルが頭の上に落ちればいいのに……なんてことばかり。やけになって鎮痛剤を多量に飲んだこともあったけど、アレは後で死ぬほど気持ち悪くなってとてもヤバかったからもうしない 笑!

当時通ってたクリニックから出てた薬は、気分を高揚させる抗うつ剤。今のクリニックに転院して私はうつ病ではなく躁うつ病だと知ったのだけど、抗うつ剤を服用すると、躁状態を引き起こすリスクがあるんだとか。
8月から秋にかけて、うつ状態がほとんどなくハードに働き続けることが出来ていたのだけど、これが実は躁状態だったのかもしれない。
秋が終わる頃、また急にうつ状態に陥ることが増えてきたのは、その反動だったのかもしれない。

【完治したと思ったら、再発】

秋に七五三などの撮影ラッシュだったり、イベント出店とその準備のための連日の出張撮影。目が回るほどの忙しさをさばきながら「ああ、もう私は治ったんだな」なんて安心してたのに、12月に入る頃、またお客様の前に出るのが怖くて自宅にこもる日が出てきた。保育園の先生に会うのも怖いから、Yuiの送迎は夫任せ。12月は月例の英語の絵本とお歌の会のクリスマス特別企画を2回開催。体調不安な中、ランチの仕込み負担を減らす作戦で乗り切った。

乗り切った後は、崩れるように悪くなっていった。
この頃、精神病には「完治」という概念は無くて「寛解」という言葉を使うこと、一生付き合っていくものであり、上手くコントロールしながら寛解の状態を維持していくものなのだと、SNSの友達から言葉をもらった。その辺りのことは、こちらの記事を参照 

【治らない症状、転院を考える】

2018年に入って、すべり出しは好調のように見えてた。
それが1月の10日過ぎくらいから、だんだん崩れていった。その頃、成人式の撮影だったり、色々な撮影があったはずなのに、記憶がとても薄い。ニューボーン撮影も続いてたのだけど、最後の方は頭がボンヤリして対人恐怖もあって逃げ出したいのを無理に奮い立たせて撮影に同行して、反動で寝込んでしまったり……という感じだった。

その後、今までで一番辛い状態に陥る。

無表情
涙がボロボロ出てくる
感情の起伏が激しくコントロールできない
ひどい倦怠感
横になったまま動けない
対人恐怖(人に会うことや電話が怖い)
頭がボーっとして働かない
簡単な料理ができない
会話ができない
声が出ない
文字が読めない(記号のようで頭に入らない)
メールが打てない
人の話を聞いて理解できない
視界がぼやけてピントが合わない
頭を強いゴムで締めつけられた感覚
顔面違和感
食欲なし

何日も仕事も家事も育児もできない状態だったから、全部一人で抱え込んでる夫もギリギリの状態。そんな夫に助けを求めることもできず、思わずSNSで「助けて」と発信。
寄せられたメッセージやコメントにどれだけ救われたか。自分でも情けなかったけど、あの時は本当に苦しかった。

このひどい状況に陥る前触れが、こんな風だった。
ある日。夕飯を支度してて、もう鍋に出来上がったおかずを皿に盛ってご飯をよそうだけの状態なのに、何をどうしたらいいのか分からなくてなって「ごめん、これ、どうしていいか分からない。どうしよう……」と夫に助けを求めた。
夫は私を椅子に座らせて、お茶碗やお皿を出して盛り付けてくれた。私はそのあと、どうしただろう。そのまま寝込んでしまったかな?覚えていない。

【転院。うつ病ではなく、躁うつ病だった】

苦しい状況の中、幼馴染みの友達にLINEで連絡を取った。彼女は去年の夏に私のタイムラインを見て、自分も数年前に鬱で仕事を長い間休まなきゃならない状況だったとメッセージをくれた。病院に行って、薬は飲まずにカウンセリングだけで回復したのだと。
その事を思い出して、藁をも掴む思いで「どこの病院に通ってたの?」と尋ねてみた。すぐに返信が来た。そして夫に「この病院に行ってみたい」と伝え、予約を入れて1週間ほどで初診日を迎えた。

初診の日のことは、こちらの記事に書いてます
>> 理想に近いメンタルクリニックに出会った
>> メンタルクリニック転院の理由

前のクリニックでは、うつ病という診断のため、抗うつ剤が処方されていました。それが、今回のクリニックでの丁寧な診察によると、双極性障害(いわゆる躁うつ病)であることが判明。
躁うつ病であることを知らずに抗うつ剤を服用すると、躁状態を引き起こしてしまい、かえって症状を悪化させてしまう危険性があるんだそうで、私はまさにそのせいで【躁状態→どんと鬱に落ちる】を繰り返していたのかもしれない。

前の記事にも書いたように、発達障害などなど原因となる背景も判明して、診断も改められたことで、やっと治療と生活改善のスタートラインに立つことができた。
症状は、去年夏にはじめてうつ状態に陥った時よりもキツイ。自分の生い立ちを遡って向き合ったことで、過去の様々な忘れてた出来事がフラッシュバックで襲ってきて、すごく苦しい時もある。それでも根本から自分のことを知ること、その上で生きやすいやり方を今から構築していくんだという期待。保健士さんや医師の力強い支えもある。
あとは、前を向いて歩いてゆくだけ。
やっと、やっと、こんな思いまでして、私は生き方を変えることが出来る。


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北九州市若松区童子丸2-3-9(JR奥洞海駅前、199号沿い)
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メンタルクリニック転院の理由〜私が求めていたこと〜 - 2018.02.06 Tue

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去年の6月から通っていたメンタルクリニックから、幼馴染みの友人の勧めで黒崎にあるクリニックへ転院することに。そして今日が初めて受診日でした。
結論から言うと、私が求めていたクリニックにとても近い、安心して心を開くことができそうな環境でした。

私が今、必要としているのは、こんなこと。

1. ある程度お薬を飲んで症状を緩和しつつ、生活や仕事ができる状態になりたい

2. うつ病になった原因を、直接的な事だけでなく、私自身の抱える背景を掘り下げて、根本原因としっかり向き合うことで、同じ病気を繰り返さず安定した暮らしを維持できる、コントロール能力を身に付けたい

3. 困った時に、家族や友人に話すだけでは限界がある時に、冷静に話を聞いてくれる専門家の方と繋がっていたい(色んな場面でアドバイスしてくれる、相性の合うクリニックを見つけたい)


■1と2について

去年6月にうつの症状で仕事や家事ができなくなってから通いはじめたクリニックでは、2種類のお薬をもらっていました。先生の見立てでは、1〜2ヶ月で症状が落ち着いて、薬も年内いっぱい飲めばその後は必要なくなるでしょう、とのことで。その通り、服用し始めて2ヶ月くらいで落ち着いて、ほぼ以前のようなペースで仕事ができるようになりました。秋にはものすごい繁忙期を迎え、目が回るような仕事量を、体調を崩すことなくさばくこともできた。

でも冬の足音が聞こえはじめた頃、時々お店に立てない日が出てきた。お客様がくることを想像すると怖くて表に出られない。保育園にYuiを送るときに先生や他の保護者の方に会うのが怖い。薬を飲み続けてるのに、どうしてなんだろう。不安はつのるけど、月一度の受診では先生は言葉少なに私の状態を尋ねつつ、お薬をどうするかの話のみ3分もしないで診察は終了。年が明けて、2種類あった薬を1種類に減らすことになったのだけど……起き上がれない、日中頭に濃霧がかかって動けない喋れないような日も出てくるし、何をどうしていいか分からない。

藁にもすがる思いで、数年前にうつで苦しんでいたという友達に、どこのクリニックに通っていたのか訊いてみた。というのも、彼女は薬は飲まずに通院だけで回復できた、というのを聞いてたから。
そうして勧めてもらったクリニック。
初診の日。まず最初に保健士さんらしき方による1時間にもおよぶ聞き取り。私の出生体重からはじまって、幼稚園時代、小学校、中学、高校、大学、社会人になってから勤め先一つ一つ、それぞれの時期・場所で、楽しかったかどうか、何か問題を抱えていたのかどうか、細かくインタヴューを受けた。思いがけず自分の45年間を振り返るという作業を経験して、それまで忘れていた数々の出来事、思い出すのが辛いような事、忘れたくて記憶の底に沈めておいた事、全部を思い出させられて、けっこう辛い時間でもありました。それと同時に、自分が抱えている根本的な問題を見つめ直す機会にもなったんです。

前の記事にも書いたように、私に出された診断は
- 双極性障害(躁うつ病)
- 軽度の自閉症
- AC(アダルト・チルドレン)
- 共依存症

正確には、軽度の自閉症とACと共依存であることで、躁うつ病を引き起こしやすいんだとか。
それぞれの症状などについては、また別の記事に詳しく書いていきますが、これらの要因たちを先生が見極めてくれたこと。私の45年間をすべて聞き取って、さらには育った家庭環境についても詳しく聞き取ってくれて、私に今起こっている症状がどんな風に引き起こされたのか、背景まで深く掘り下げてくれた。正直、この診断を聞いたその日はものすごく心がずーーーんと重たくて。なんとも言えない複雑な気持ちで落ち込みましたけど。
でも、この45歳というまだ若いタイミングで、自分の生い立ちや抱えている問題と向き合って、これからの人生を生きやすくしていける機会を得られたことは、とても嬉しかったです。

思い返せば20代の頃、2年間ほど鬱の症状で苦しんでいた時期がありました。その頃、ACや共依存症という言葉を知って、調べてみると自分に当てはまることが多くて、ACの人たちが集まる掲示板に行っては心の内を書き綴って、同じような人たちと共感し合うことで安心感を得てた。それから色々なことがあって、子供も生まれて、いつの間にかACや共依存という言葉は忘れてしまっていたけど。だから、久しぶりに先生からACや共依存症という言葉を聞いたとき、胸の奥がチクっと痛んで、でも何となく納得というか、ああやっぱりか、というか。
きっと、今このタイミングで向き合うことになったのは、今わたしが安心していられる夫を中心とする家族があること、その環境が整ったからなんだろうなぁと思う。私のひどい症状を目の当たりにして、心配かけたり、家事や仕事・子供たちのことを負担してる夫には申し訳ないけれど、しばらく甘えさせてもらって、私の抱えてる問題と丁寧に向き合いながら、安定して過ごしていける術を身に付けたい。

今度のクリニックでは、薬はあくまで補助的なものとして処方してくれるけれど、主にカウンセリングを通して、自分の心や行動がどんな風に動いているのか、どんな時にどんなキッカケで不調になるのかなどを見極めながら、心身の波を最小限に抑えて安定した毎日を遅れるように、導いてくれるとのこと。これこそが、私が必要としていたことなのです(*^^*)

■3について

仕事や家庭で実質的に困っていること、例えば今やっている仕事が自分にとって余計な負担になっていないか、続けていいのかどうか迷う時や、新しくはじめようと考えていることが、果たして良いことなのかどうか、心身に悪影響を与えることにならないか不安になった時に、友人や家族のアドバイスはもちろん力になってくれるのだけど、精神的にバランスを崩しがちな私には、私の問題を知ってもらえた上でアドバイスをしてくれる専門家がほしいとずっと思ってた。
今通っているクリニックでは、定期的に保健士さんによるカウンセリングを受けています。まだ1回しか受けていないのだけど、1回目からさっそく、私がはじめようとしている活動のことや、仕事で今抱えている問題とそれに対してやろうとしている対策について話してみました。こんなこと話していいのかな?と少し不安になりながら話してみると、ちゃんと丁寧に聞いてくれて、私の状態を考慮しながらアドバイスがもらえて、とても安心しました。

今年に入ってから、ほぼ実質仕事はほとんどできていなくて、夫に大部分を任せっきりになってる。私は今こんな状態だし、きっと上手くコントロールできるようになったとしても、今までの仕事量の70%くらいにセーブしないと難しい。夫とも仕事のシステムについて、負担を減らしつつ効率を落とさないように色々話し合っているけれど、これからカウンセリングでも、そういった事を報告してアドバイスを受けていきたい。
私が今年から始めようとしていた公私それぞれ数々の活動がある。その中の半分くらいは、諦めないといけない。というよりも、やろうと考えていた私はある程度の躁状態にあって、本来私には向いていない、本当はやりたくないはずの事までやろうとしてた可能性もある。一度リセットして、自分が本当はどうなのか、丁寧に見極めていきたい。その手助けをしてくれる、心強い専門家の存在は、とても大きいです。

しばらくはカウンセリングを受けながら、お薬も飲みながら、そうして症状が落ち着いて寛解(ほぼ症状がなくなること)に至ることができたら、身に付けたコントロール能力で自力で歩いていけるように、少しずつ、少しずつ。
また症状が辛い日も多いけど、根本的な原因と自分を知ることができて、将来に明るい道筋を見ることができたから、去年発症して以来、今が一番穏やかな、前向きな気分。

>>「前向きな躁うつ病日記」のカテゴリで2017年夏からの経過を読んでいただけます

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理想に近いメンタルクリニックと出会った - 2018.02.03 Sat

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日付変わって昨日は、まさに私が求めていたタイプのメンタルクリニックに出会うことができた。
1時間にも及ぶ面談で、私は自分の出生から幼児期、幼稚園時代、小学生時代、順に大学、就職、留学また就職などなど、自分がどう感じてたか、何か問題はあったか?楽しかったか?と振り返って延々とインタビューを受けて、語り続けた。よく覚えてるよねーと感心するくらいたくさん覚えてた。
人生45年を振り返って、私にとってほぼ問題なく「楽しかった」と言えた時期は、下記のたったこれだけ。

1) 中学3年~高校3年まで
2) 1997年 カナダ留学中
3) 2010年以降(夫とお付き合いして以降)

幼稚園の頃から集団に馴染めず、生きづらさを感じながら、傷つかないように自分を出さないように生きていた。
日本では生きづらかったのに、カナダでは友達ゼロの状態からスタートなのに全てが楽しかったのは、やはり多民族で多様な文化や価値観が入り乱れて、人それぞれ違うのが当たり前だったからなのかな。日本では、人と同じように感じて共感することを強要されるから。

中学時代は長く保健室の常連だったり、友達関係も色々あったのだけど、3年生のときに、今も仲良くしてくれてる友達と仲良くなって、彼女の存在に大きく支えられて、本当に純粋に楽しかった。友達の存在は、本当に大きいです。高校は、ちょっと個性的な人が多い自由な校風だったので、性に合っていたんだと思います。友達と一緒にいようが、一人で行動していようが、人それぞれ。変な視線も一切感じなくて。とても楽しかった(*^^*)
高校や大学は、志望のところに入れたのかどうか?という質問までありました。挫折感を経験したのか…とか、関係してくるんかな?? 私について言えば、高校は成績が落ちて妥協した高校だったけど、結果的にとても楽しかった。大学は、私には高嶺の花のように思えた憧れ大学学部。補欠で何とか滑り込んだものの、期待していた大学の勉強内容と現実のギャップが大きすぎて、すべてに失望してまともに勉強せずにバイトばかりしていた。将来も描かず相談相手もいない、なかなかの暗黒時代かなw それなりに楽しい思い出は沢山あるにはあるけれど。

クリニックでの長い長いインタビューと、それに基づいた、これまたたっぷり40分くらいかけた丁寧な先生の診察により、私に出された診断はこんな感じ。

- 軽度の自閉症
- 躁うつ病
- 共依存症
- AC

それぞれの診断名についての一般的な説明は、リンク先を参照してください。
正直、最初に先生から出た診断、軽い自閉症……については予想してなくて、ビックリしました。でも、そうであることを前提にすると、今までの人生で経験した失敗とかトラブルの説明がつきます。ご存知のようにウチの息子Hayatoは重度の自閉症。夫は私にも自閉傾向があるということに、すごーく納得してました。「だからchieは、変わった考え方をしていたり、たまにすごく簡単な仕事が出来なくて驚かされたひするんだなぁ…」だそうで 笑。まあその辺は私も納得。またこの辺りについては、別の日に詳しく書こうと思います。

昨日クリニックで過ごした濃ゆい3時間半を振り返って、診断された内容と私の今までの人生を照らし合わせて振り返りながら、改めてノートに書き綴っていました。すると、色んなことが腑に落ちて、納得できて、今後はそれを踏まえていけばより良い人生になるんだなぁって思うと、とても楽しみになってきました。

2年半前に他界した私の父親は、アルコール依存症で、精神病院に長く入院していたこともありました。退院後、小学3年生だった私の家族は名古屋から九州に移りました。それから私が中学に入学するくらいまでの期間、両親と一緒に週に2日から3日くらい、同じ依存症患者と家族が集まって互いの経験を話したりコメントし合ったりする会合に出掛けていました。会合は夜なので、両親が参加する間に留守番するには私と弟は幼かったので、両親はやむを得ず私たち子どもを同伴させていました。その場所には同じようにアルコール依存症の親を持つ子どもたちが数人いて、仲良くなったりしたものです。会合のため泊まりがけで関西あたりまで行くこともあって、なかなか面白い体験でしたた。
そこで子どもなりに学んだのは、アルコール依存症や薬物依存症は、どれだけ自分で頑張っても抜け出すことができない病気。だから、専門医にしっかりかかって、同じ病気の仲間たちと経験をシェアしながら生きていかないと、すぐに同じ過ちを繰り返してしまう、という事。
ホントしつこいくらい、毎回その言葉を聞いてた。
今回私にも一種の依存症の診断が出て、とても納得したのは、私が何度も何度も同じような計画の甘さとか、仕事の詰めの甘さとか、人間関係の破綻とか、繰り返してしまうのは、自分の力ではどうにもならない病気が原因だったんだなぁ……ということ。病気といっても、薬でコロッと治るわけではなく、しっかり自分と向き合って、自分の特性を把握した上で、また病気が悪い方へ向かってしまうキッカケを、問題になる行動を起こさないように防ぐこと。自分が今回みたいに躁うつ状態になるにはちゃんと背景や原因があって、そこをしっかり理解して対策していくこと。

まさにそういう方向性を、私は切望していました。
そうい方向性に行けそうな、今回のクリニックとの出会い。

私には近い将来から少し遠い将来まで、色んな計画や目標や夢がある。そこへのアプローチ方法、間違えてしまうと、夢と現実が噛み合わなくて空回りしてしまう(実は何度か経験してて、それも私の特性が原因だったんだと腑に落ちた)。そんな事態はぜひ、家族のためにも自分のためにも避けたいところだから、良い方向に導いてくれる存在を求めていました。この、将来が拓けていくような予感、間違いじゃないと願うばかり。

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ちえです。唄うこと&お菓子を作ることが大好きです。夫と2人でNMphotography.という写真スタジオやってます。私の詳しいプロフィールはコチラをご覧ください。
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